コメディ・デ・シャンゼリゼの時代
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「ルイ・ジューヴェ」の記事における「コメディ・デ・シャンゼリゼの時代」の解説
1922年(34歳)から、1934年(46歳)まで。 コメディ・デ・シャンゼリゼ(Comedie des Champs-Élysés)は、パリ第8区、シャンゼリゼ通りから南へ折れたシャンゼリゼ劇場内の小劇場で、ジューヴェは1922年、シャンゼリゼ劇場の技術監督となって内部を改装し、1924年、解散したヴィユ・コロンビエ座の座員も選抜吸収し、コメディ・デ・シャンゼリゼを本拠とする座を組織した。 ジュール・ロマン、ジョルジュ・デュアメル、ロジェ・マルタン・デュ・ガール、ジャン・ジロドゥらが戯曲を書いた。特にジロドゥとの交わりは深く、彼の14篇の戯曲の13篇を、ジューヴェが初演した。 画家オーギュスト・ルノワールの長子ピエール・ルノワールが、終生の幹部俳優だった。 1926年(38歳)、レジオン・ドヌール勲章五等を受けた。 1927年、パリの在野3劇団と、相互扶助的な4座カルテルを結び、その『野党連合』は、フランス敗戦の1940年まで続いた。 1933年(45歳)、苦しい劇団財政への配慮から、映画『トパーズ』に出演し、以降も『女だけの都』・『旅路の果て』・『舞踏会の手帖』など頻繁に出演し、日本の映画ファンにも親しまれた。
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