コノートの旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/02 02:08 UTC 版)
「アイルランド4地域の旗」の記事における「コノートの旗」の解説
詳細は「w:Flag of Connacht」を参照 西部のコノートの旗(英語版)は以下のような紋章説明である。「薄いアージェントとアジュールに二等分され、前者にはセーブル(黒)の鷲の半身、後者には半分の曲げられた鎧を着用した腕にその手はすべて剣が掲げられている。これらはすべてアージェントである (Party Per Pale Argent and Azure, in the first an eagle dimidiated and displayed Sable in the second issuant from the partition an arm embowed and vested, the hand holding a sword erect, all Argent )」 これらは中世にアイルランドでの布教に努めたドイツのレーゲンスブルクのショッテンクレスター(英語版)(ゲールの修道院)の紋章と結び付けられてきた。 レーゲンスブルクのショッテンクレスターは少なくとも14世紀の遡り、神聖ローマ帝国皇帝の紋章(英語版)(庇護をうけた修道院)に含まれていた。この二分された紋章はオブライエン王朝の紋章のクレスト(11世紀のオブライエンは修道院のfundatorとして記録されている)と関係があると考えられている。紋章はコノート王(英語版)のルアリー・ウア・コンホヴァル(w:Ruaidrí Ua Conchobair)に与えられた。彼はノルマン人侵攻前の最後のアイルランド上王(英語版)であり、修道院から支援の返礼として紋章を贈呈された。紋章は16世紀末にアスローン紋章官補(英語版)のエドワード・フレッチナーによって「古い形式の紋章」として見做され、17世紀にティンクチャーを少し変えた紋章に変更された 。
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