コットブス-ポツダム攻略作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 23:02 UTC 版)
「オーデル・ナイセの戦い」の記事における「コットブス-ポツダム攻略作戦」の解説
中央軍集団が第1白ロシア方面軍への防御を固めていたため、南方での第1ウクライナ方面軍の進撃は計画通りに進んでいた。第4装甲軍は中央軍集団の北方を防衛していたが、第1ウクライナ方面軍の圧力により、退却せざるをえなかった。中央軍集団南方の防衛を担当していた2個装甲師団はソビエト赤軍の突破に対応するために予備とされていたが、第4装甲軍の撤退により投入せざるを得なくなった。夕暮れにはヴァイクセル軍集団と中央軍集団南方が持ちこたえることが不可能となったが、これがこの戦闘における分岐点であった。第4装甲軍の撤退により、両軍集団は包囲される危険性が高まった。実質的に、ゼーロウ高地南部を防衛する中央軍集団の守備不足がハインリツィの防衛計画を大きく狂わせてしまっていたのである。 4月18日、第1ウクライナ方面軍はフォルストを確保、そこからさらに前進すべく準備に入った。 第3親衛軍、第3軍、第4親衛戦車軍ら機械化騎兵グループは第4装甲軍を押し戻し、セイダとユータボクを経由し、ベルリン西方で第1白ロシア方面軍と出会った。
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