ココ・シャネルとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 01:22 UTC 版)
「エルネスト・ボー」の記事における「ココ・シャネルとの出会い」の解説
1914年にパリに店を開いたココ・シャネルは、オートクチュールで香水を販売するアイデアを思いつく。これまでとは違う単一型の香りではなく、新たなるフレグランスの販売を望んでいたシャネルは、当時シャネルの恋人であったロシア人貴族・ドミトリー・パブロヴィッチ大公により、ボーを紹介されることになる。 ボーはこれまでにつくりあげた創作品の内、N°1からN°15、N°20からN°24の番号がふられた10本の瓶を試作品として、シャネルのもとに届けた。シャネルはその中から5番目の香りを選ぶ。シャネルはそれを選んだ理由として、「その年の5月5日に自身5度目のコレクションがおこなわれることや、5という数字は私にとって好運をもたらすような気がするから、この香水をCHANEL N°5と名づけたい。」と言った。こうして現在まで発売され続ける「CHANEL N°5」は誕生する。発売された当初は知名度こそ低かったものの、のちにシャネルの知人で、香水販売会社を設立するユダヤ人実業家、ポール・ヴェルテメールとピエール・ヴェルテメールによる、ヴェルテメール兄弟の手を通じ、シャネルが名義料を受け取る方式で販売され、現在まで発売され続ける香水としてその名を知られるようになる。
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