ゲンマ・フリシウスと地図を作るための三角測量
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:08 UTC 版)
「三角測量」の記事における「ゲンマ・フリシウスと地図を作るための三角測量」の解説
測量による地図作成の方法の古典的なものに導線法(旗や綱などを用いて距離と角度を繰り返し測量していく方法)があるが、この方法では途中の障害物などで誤差を生じやすく大規模な地図を作成するには大がかりな作業を伴う。 オランダの地図製作者ゲンマ・フリシウスは、1524年のペトルス・アピアヌスによるCosmographicaの新版への付録という形で、1533年にLibellus de Locorum describendorum ratione(土地を表現する方法に関する冊子)を出し、その中で地図を作るために遠く離れた場所を正確に測定する方法として三角測量を使うことを提案した。これはとても影響が大きく、技術はドイツ・オーストリア・オランダなどに広がった。天文学者のティコ・ブラーエはスカンジナビアにおいてこの方法を適用し、彼の天文台があるヴェン島の詳細な三角測量を、エーレスンド海峡の両側にある目標物を基準として1579年に完成させ、1584年に島の土地計画を作った。イングランドにおいてはこの世紀の中ごろ以降、ウィリアム・カニンガムのCosmographical Glasse(1559年)、ヴァレンティン・リーのTreatise of Measuring All Kinds of Lands(1562年)、ウィリアム・ボーン(英語版)のRules of Navigation(1571年)、トーマス・ディッグスのGeometrical Practise named Pantometria(1571年)、ジョン・ノーデン(英語版)のSurveyor's Dialogue(1607年)など、多くの本でフリシウスの方法が見られるようになった。クリストファー・サクストンも1570年代の彼の地図において特徴となるものを配置するために、粗雑ではあるが三角測量を使った可能性があると示唆されているが、一方で見晴らしの良い点からおおまかな方向感覚をつかんで、そこまでの距離を単に当て推量で決めただけであると反論されてもいる。
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