ゲルマン族侵入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:14 UTC 版)
409年ごろからスエビ族や西ゴート族などのゲルマン人がイベリア半島に侵入を始めた。サラゴサはその頑丈な城壁によって持ちこたえたが、472年、西ゴートの王エウリック配下の部隊によって陥落した。ガリアから西ゴート族を退けた後の541年、フランク王キルデベルト1世とクロタール1世はガリア南部へ侵攻し、サラゴサを包囲した。包囲は2か月に及び、住民は投降できず、やがて飢餓が始まった。言い伝えによれば、サラゴサ住民は都市をフランク族から守り抜くことを誓い、サラゴサの聖ビセンテの奇跡を表すチュニックを身につけて外出をしていた。当時既にカトリックに改宗していた2人のフランク王たちは、聖ビセンテの肩掛けをもらう交換条件として、包囲を解いた。聖遺物をパリへ持ち帰ったキルデベルト王は、聖遺物保管のためにサン=ジェルマン=デ=プレ教会を建てた。 7世紀のサラゴサは、大図書館を所有するサンタ・エングラシア修道院とつながりの深い多数の教会知識人、サラゴサ司教を輩出したため、セビリアやトレドと並んで西ゴート王国の文化の中心地となった。
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