ケーブル敷設船として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 17:18 UTC 版)
「グレート・イースタン (蒸気船)」の記事における「ケーブル敷設船として」の解説
グレート・イースタンが競売にかけられていたころ、英国では大西洋横断電信ケーブルの敷設計画が進められていた。この事業は1856年に始まり、1858年にいったん敷設に成功したが、このケーブルは2カ月余りで不通となってしまった。そのため、新たに改良したケーブルを製作し敷設を行うことになったが、ケーブルを敷設するためには大型の船が必要であった。 大西洋横断ケーブル敷設事業の責任者であったサイラス・フィールドは、海底ケーブル敷設船としてグレート・イースタンに目を付けた。また、旧グレート・シップ会社の役員たちも、ケーブル敷設船としての活用に期待して、新会社を作ってグレート・イースタンを2万5千ポンドで買い戻した。フィールドはこの会社と契約を結び、1865年に大西洋横断電信ケーブルの敷設作業を行った。 1865年の敷設作業では、敷設途中でケーブルが切れたため失敗に終わったが、翌年の敷設作業は成功し、ヨーロッパと北アメリカ大陸は電信網で結ばれた。グレート・イースタンはその後も大西洋横断電信ケーブルや、スエズからムンバイへのケーブル敷設に使用され、また、ケーブルの補修作業にもあたった。 なお、グレート・イースタンはこの期間中にも1度だけ、客船として使用されたことがある。1867年、フランスの大博覧会に使用するため、フランス政府によってチャーターされたのである。グレート・イースタンはフランス―ニューヨーク間を往復し、乗客の中にはジュール・ヴェルヌもいた。ヴェルヌはその後、グレート・イースタンを舞台にした小説『洋上都市』を執筆している。この航海は無事に終えたが、改装費用やニューヨーク港在泊の費用がかさみ、グレート・イースタン会社は倒産した。そしてこれが、客船としてのグレート・イースタンの最後の大西洋航海であった。
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