グルジア共産党第一書記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 06:30 UTC 版)
「エドゥアルド・シェワルナゼ」の記事における「グルジア共産党第一書記」の解説
1972年にグルジア共産党第一書記に就任すると、汚職の摘発、腐敗した党幹部の大量解任に辣腕を振るう。また、レオニード・ブレジネフ書記長時代にはブレジネフに対する個人崇拝に積極的な姿勢を見せた。グルジア共和国内の各民族主義には、当初、「民族主義的偏向」批判のキャンペーンを大々的に貼るが、これに対してグルジア国内では民族自決を求める抵抗運動が高まった。1978年、新憲法案でグルジア語の国語規定が削除されていたことに反対する大規模なデモが発生し、撤回を余儀なくされた。このような動きに対してシェワルナゼは路線を変更し、民族主義へ配慮をするとともに世論調査の導入や経済改革を実験的ではあるが実施していった。ミハイル・ゴルバチョフとは、ゴルバチョフがスタヴロポリ第一書記の頃からの知人であり、お互いに地方党組織のトップとして交流していた仲であった。
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