クルド人に対する差別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 06:29 UTC 版)
「ロジャヴァ革命」の記事における「クルド人に対する差別」の解説
クルド人の間ではシリア政府に対する反発は潜在的にくすぶっていた。シリア政府はシリア国内のクルド人の存在を公には認めてこなかった。すなわち1962年の国勢調査の時点で12万人のクルド人(シリアクルドの20%)が国籍を剥奪され、外国人として登録されることとなった。 クルド人が市民権を得るためには1945年の時点でシリアに居住していたことを証明する必要があった。加えてクルド人の言語と文化も同様に制限された。2011年、シリア内戦の初期。アサド政権への批判が高まる中で政府はクルド人に国籍を与えることでこれらの問題を解決しようと図った。しかし実際に国籍が与えられたのは15万人いる無国籍クルド人のうちの6千人に留まり、クルド人差別政策、例えばクルド語による教育の禁止などは維持された。しかし2011年1月から始まったシリア内戦が深刻化すると、政府はそれらの差別政策を強制する力を失った。
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