クラシック音楽への挑戦・晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 17:56 UTC 版)
「ジーン・クルーパ」の記事における「クラシック音楽への挑戦・晩年」の解説
第二次世界大戦後はRCAにビッグバンド編成での録音を残したが、すぐに小編成(コンボ)での活動を再開した。 1950年代後半、クルーパは、レギュラーでのライブ・ツアーのかたわら、ラヴェル、リムスキー=コルサコフ、エドワード・マクダウェル、ベートーヴェンなどのクラシック音楽のスコアに取り組んだ。レコーディングを行ったが、発売にはいたらなかった。このころクルーパは、友人レナード・バーンスタインと「ジャズは交響曲に影響を与えたか?」というテーマの対談を行い、クルーパは「決して影響は与えていない」とした一方、バーンスタインは「確かに影響を与えている」と語った。 後年クルーパは心臓病を患ったことで激しいプレイが出来なくなり、演奏活動を縮小する。病気と戦いながら、テレビ出演、ドラム・バトル企画などをなんとかこなした。1972年に行われたルイ・アームストロング追悼コンサートでは「オリジナル・ベニー・グッドマン・カルテット(実際はジョージ・デュヴィヴィエが加わってのクインテット)」として恩師グッドマンとの再演を果たし、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、ディジー・ガレスピー、デイヴ・ブルーベックなど大物が居並ぶ中、その日の出演者唯一のスタンディングオベーションを沸き起こした。 1973年10月16日、白血病によりニューヨークで死去。
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