キュアクサレス2世の存在に関する論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/22 09:05 UTC 版)
「キュアクサレス2世 (メディア最後の王)」の記事における「キュアクサレス2世の存在に関する論争」の解説
キュアクサレス2世はクセノフォンの『キュロスの教育』の中で目立って登場する一方、ヘロドトスの『歴史』の中では全く登場しない。ヘロドトスは、メディアの王アステュアゲスには息子がいなく、キュロス大王がメディアとペルシアの両王国の後継者であったと述べる。現代の史学者の多数派はヘロドトスを支持しており、John Whitcombはクセノフォンの言うキュアクサレス2世は「創作にすぎない」と述べている。 遅くともヒエロニムスの頃から19世紀まで、ユダヤ人とキリスト教徒の双方の多くの著述家にキュアクサレス2世の存在は受け入れてきた。キュアクサレス2世は、ジャン・カルバンやアダム・クラーク、カイル、デリッシュ、そしてランゲなどの聖書注釈において、新バビロニア帝国の終わりころのメディアの王と見なされている。 ランゲの注解書の中では、ゲゼニウス、ヘングステンブルクといった、キュアクサレス2世をダニエル書のメディア人ダレイオスと同一視する著述家たちの名前がオットー・ゾックレーによって多く挙げている。これらの注釈書は、クセノフォンが描くキュアクサレス2世とダニエル書からわずかに得られるメディア人ダレイオスについての記述の共通点に言及している。 彼らの見解では、二人の人物の名前の相違は、アルタクセルクセス1世、ダレイオス2世、アルタクセルクセス3世、ダレイオス3世といった当時の王が、彼らの本名の他に「王としての名」を持っていたことによると説明している。キュアクサレス2世に関しては、キュアクサレス2世の王としての名がダレイオスであった証拠としてアルポクラシオンとベロッススの著作が引用されているキュアクサレスとメディア人ダレイオスの関係について、ゾックレーは「キュアクサレスについてのクセノフォンの記事は、ダニエル書の語るメディア人ダレイオスと非常によく一致しており、ヒトジックが断言するように『これら二人が同一であることは疑いがない』。」と書いている。
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