キャリア終盤:1991–1993
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「ローレンス・テイラー」の記事における「キャリア終盤:1991–1993」の解説
1990年シーズン終了後、テイラーの入団当時からジャイアンツのコーチを務め、テイラーと良好な関係を築いていたパーセルズが引退し、チームはオフェンスバックコーチのレイ・ハンドリーをヘッドコーチに昇格させた。1991年シーズン、テイラーの成績は14試合で7サックと急速に悪化し、初めてプロボウル選出を逃した。チームの守備もリーグトップレベルとは言えないものになった。 1992年シーズン、前年の不調をはねのけて、最初の9試合で10サックと活躍し、チームの成績は5勝4敗であった。しかし、1992年11月8日のグリーンベイ・パッカーズ戦でアキレス腱を断裂し、残りの7試合を欠場した。チームはテイラーが出場しなかった試合を1勝6敗と大きく負け越してシーズンを終えた。 1993年シーズン、怪我による長期離脱により、そのまま引退することも考えられたテイラーは、新しいヘッドコーチ(ダン・リーブス)の下でのプレーに期待を抱き、現役続行を選択した。このシーズン、ジャイアンツは前年の低迷から復活し、テイラーは6サック、チームは11勝5敗、NFC東地区優勝、第4シードでのプレイオフ進出を決めた。チームの失点はリーグ最少であった。ワイルドカードプレイオフでは、ミネソタ・バイキングスを17対10で破ったが、ディビジョナルプレイオフでスティーブ・ヤング擁するサンフランシスコ・49ersに44対3で破れ、シーズンを終えた。試合終了後のインタビューでテイラーは引退を表明した。
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