キックボクシング時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 00:14 UTC 版)
空手からK-1出場を諦め、当時愛媛県の先輩でISKAオリエンタル世界ライト級王座(3分3R+延長2R、60kg契約)の上松大輔から誘いを受け町田市にジムを構えるチームドラゴンに籍を置く。2007年6月1日、J-NETWORK「J-FIGHT 27」でプロデビュー。松岡泰輝に判定勝ち。ウェルター級(ISKAでは、67kg)でデビュー。 同期には 第5代K-1 WORLD GPスーパーライト級王者、第3代Krushライト級王者、第4代Krushスーパーライト級世界王者。Krush初の2階級制覇王者の山崎秀晃がいる。
※この「キックボクシング時代」の解説は、「木原真弥」の解説の一部です。
「キックボクシング時代」を含む「木原真弥」の記事については、「木原真弥」の概要を参照ください。
キックボクシング時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 10:16 UTC 版)
2008年2月24日、K-1 ASIA MAX 2008 IN SEOULでK-1初参戦。スーパーファイトで梶原龍児と対戦し、判定勝ち。キックボクシング初戦を勝利した。 2009年3月20日、K-1 MAX KOREA 2009 IN SEOULで我龍真吾と対戦し、判定負けを喫した。
※この「キックボクシング時代」の解説は、「池仁珍」の解説の一部です。
「キックボクシング時代」を含む「池仁珍」の記事については、「池仁珍」の概要を参照ください。
キックボクシング時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 18:51 UTC 版)
「アレクサンダー・ウスティノフ」の記事における「キックボクシング時代」の解説
2002年5月4日、K-1 UKRAINE GRAND PRIX 2002で行われた地区予選に出場、1回戦でジャロスラフ・ザボロトニーに判定勝ちするも、準決勝でアンドレイ・キルサノフに判定負けを喫した。 2003年5月28日、K-1 MOSCOW GRAND PRIX 2003で行われた地区予選に出場、決勝まで勝ち進みアンドレイ・キルサノフにKO勝ち。 2003年6月14日、K-1 WORLD GP 2003 in PARISで行われたヨーロッパ・ロシア地域予選に出場、1回戦でグレゴリー・トニーにKO勝ちするも、準決勝でアレクセイ・イグナショフに判定負けを喫した。 2003年12月20日、K-1 SPAIN 2003で行われた地区予選に出場、決勝まで勝ち進みピーター・マエストロビッチに判定勝ち。 2004年5月29日、Mugendo World Grand Prixに出場。1回戦でモハメッド・フォウチにKO勝ちするも、準決勝でロイド・ヴァン・ダムに判定負けを喫した。 2004年8月7日、K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGASで行われた世界最終予選に出場し、1回戦でヤン・ノルキヤに判定勝ちするも、左スネを負傷して準決勝を棄権した。 2005年4月16日、K-1 Italy 2005 Oktagonで行われた地区予選に出場し、1回戦でビヨン・ブレギーにTKO勝ち、準決勝でグレゴリー・トニーに判定勝ち、決勝でフレディ・ケマイヨに判定勝ち。 2005年4月20日、Arbat Fight Clubでエドゥアルド・ボズノビッチに判定負け。 2006年1月20日、K-1 France Grand Prix 2006 in Marseillesで行われた地区予選に出場し、1回戦でアレクサンダー・ノボビッチに判定勝ち、準決勝でクリストファー・キャロンにTKO勝ち、決勝でブリース・ギドンにKO勝ちを収めた。 2006年2月17日、K-1 SLOVAKIA GRAND PRIX 2006でビヨン・ブレギーと対戦し、ブレギーの金的により無効試合となった。 2007年11月30日、Battle of Championsでジャビット・バイラミと対戦し、判定勝ち。この試合がキックボクシングで最後の試合となった。
※この「キックボクシング時代」の解説は、「アレクサンダー・ウスティノフ」の解説の一部です。
「キックボクシング時代」を含む「アレクサンダー・ウスティノフ」の記事については、「アレクサンダー・ウスティノフ」の概要を参照ください。
- キックボクシング時代のページへのリンク