ガリア人の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:41 UTC 版)
詳細は「ガリア」を参照 ローマ時代以前、ガリア全域(現在のフランス、ベルギーの全域とドイツ、スイス、北イタリアの一部を含む西ヨーロッパの領域)には、集合的にガリア人として知られる様々な部族が居住していた。彼らの祖先は紀元前7世紀頃に中央ヨーロッパからきたケルト人で、彼らは土着の人々(主にリグリア人)を支配した 。ガリアは紀元前58年から51年ごろにユリウス・カエサル指揮下のローマ軍に征服され(ただし南西地域は一世紀ほど早く既に征服されていた)、ローマ帝国の版図に含まれることとなった。続く5世紀を通じて、ガリアとローマの人々、そして文化が混淆し、ガロ・ローマ文化が形成された。俗ラテン語の諸方言が地域の支配言語となり、土着のケルト語は、ほとんどの場合、方言の中に痕跡を留めるだけになっていった。今日、フランスにおけるケルト文化・ケルト言語の唯一残存する地域は北西のブルターニュのみであるが、これもガリア語が生き残ったわけではなく、中世にコーンウォールからケルト人が移り住んだためである。
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