カルルセフニの遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/10 08:52 UTC 版)
「ノース人によるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「カルルセフニの遠征」の解説
「勇者ソルフィン」とも呼ばれたソルフィン・カルルセフニが、家畜と160人の男女を3隻のクナール船に乗せてここを訪れたのが1009年のことだった(別の史料では開拓者の数を250人としている)。厳しい冬の後で南に向かい「ストラウムフィヨルド」で上陸したが、その後恐らくは潮流が激しかったために、「ストラウムセイ」に移った。ここでは先住民とノース人の間に友好的な関係が結ばれたしるしがある。両者は、毛皮や灰色リスの皮と、ミルクや先住民が頭飾りに巻くための赤い布とを物々交換した。 ここで矛盾する話がある。一説では、カルルセフニ達の飼っていた牛が森の中から突然出てきて、先住民を驚かせたので、先住民は革製の船に走り込み、それを漕いで逃げたというものである。3日後、彼等は軍勢と共に戻ってきた。先住民は「濃い青色で、柱の先に大きな球がついた」羊の腹ほどある物を持ち上げるカタパルトを使った。これがノース人の頭の上を飛び交い、大きな音を立てた。ノース人は引き下がった。レイフの異腹姉妹の娘、フレイディース・エリクスドッティルは妊娠しており、逃げ出したノース人について行けなかった。フレイディースは「そんな惨めな恥知らず」から逃げていく者達に留まるよう呼びかけ、武器があればもっとましなようにできると付け加えた。彼女は先住民に殺された男の刀を掴んだ。続いて胴着から乳房の一つを引き出し、それを刀で打った。これに驚いた先住民は逃げ出した。
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