カルロ2世の婚姻政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 03:22 UTC 版)
「ナポリ・アンジュー朝」の記事における「カルロ2世の婚姻政策」の解説
1285年にシャルルの息子であるカルロ2世が新たに国王に即位する。通常、カルロ2世の即位をもってナポリ王国の始まりとされる。カルロ2世は父王とは異なり過大な冒険を行うことなく、婚姻関係をもって勢力拡大を進めた。自身はハンガリー王イシュトヴァーン5世の娘マーリアと結婚し、マーリアの弟ラースロー4世がカルロ2世の妹イザベッラと結婚していたが、マーリアとの間に生まれた子たちのうち長男カルロ・マルテッロは神聖ローマ皇帝ルドルフ1世の娘クレメンツィアと結婚させ、長女マルゲリータをフランス王フィリップ3世の息子ヴァロワ伯シャルルと結婚させている。また、次女ビアンカをアラゴン王ハイメ2世(ペドロ3世の子、一時シチリア王を兼ねた)と、三女エレオノーラをシチリア王フェデリーコ2世(ハイメ2世の弟、兄から王位を継いだ)と、三男ロベルトをフェデリーコ2世の妹ビオランテとそれぞれ結婚させて、和平を図っている。 婚姻政策の成果は現れた。カルロ・マルテッロの息子カルロ・ロベルト(カーロイ・ローベルト)は1308年にハンガリー王位に就き、マルゲリータとヴァロワ伯の息子フィリップ6世は1336年にフランス王位に就いてヴァロワ朝を創始したからである。アンジュー家の勢力は拡大したが、皮肉にもこの婚姻政策が後の王位継承を巡る火種となるのである。
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