カッパロケット打ち上げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 00:48 UTC 版)
「秋田ロケット実験場」の記事における「カッパロケット打ち上げ」の解説
1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)にかけての国際地球観測年(IGY)に日本が参加を表明したことを受け、文部省(現文部科学省)は、大気圏上層観測のために高度100kmまで到達可能なロケットの開発を糸川に打診、1956年(昭和31年)1月、東大生研へ正式に協力要請が下された。ペンシルおよびベビーで経験を積んだAVSA研究班は、本格的な観測用ロケット『カッパ(K)ロケット』の開発に着手した。 ベビーよりも大型となるカッパを打ち上げるにあたって、発射場は勝手川河口北側500mの海岸へと移された。1956年(昭和31年)9月24日、K-1型が初飛翔。到達高度は10kmであった。 カッパの開発は必ずしも順風満帆ではなかったが、1958年(昭和33年)9月、K-6型が高度60kmに到達した。当初目標の高度100kmには及ばなかったものの、この観測データをもって日本はIGY参加の責務を果たした。
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