オリバー・クロムウェルとの会談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 17:23 UTC 版)
「ジョージ・フォックス」の記事における「オリバー・クロムウェルとの会談」の解説
共和国では、王党派の陰謀があるのではないかという疑念と、フォックスと旅をする大集団が倒閣を企んでいるのではないかという恐れを募らせていた(この時までにフォックスの集会は通常でも大集団を形成していた)。1653年にフォックスは逮捕され、護国卿オリバー・クロムウェルと面会するためにロンドンに連行された。武器は持っていないと断言した上で、フォックスはクロムウェルと暫時友会徒と伝統的な宗派の信者との違いを話すことができ、神の声に耳を傾け従うよう助言した。去り際にクロムウェルは「目に涙を浮かべて、「またお越しください。1日が1時間しかなくても2人はもっと親交を結ぶべきです」と言い、自分に対するものよりも酷い扱いを(フォックスに)したくないと付け加えた」と記録している。フォックスは再び自由の身になった。 この話はたびたび「権力に真理を語る」例として引き合いに出され、その後のクエーカーが暴力を望まないことを示す説教に使われている。フォックスが実践した淡白な喋り方と質素の考え方に密接に関係しているが、世界的な絶滅戦争、不正、抑圧の末に広がりを見せている。 フォックスは数日かけて行った、クエーカー弾圧を緩めるよう求める署名をした1656年に、クロムウェルに再会した。個人としては会談はうまく行き、深刻な意見対立があったものの、良好な関係を築いた。フォックスはクロムウェルに「イエスの足元に王冠を置く」よう勧めることさえ考えたが、クロムウェルは拒否した。3度目はハンプトンコート宮殿で1658年に会ったが、護国卿は病気が悪化していて、長くは話せなかった。フォックスは「生ける屍のようだった」と書いている。クロムウェルはその年の9月に死去した。
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