オッパウの化学薬品工場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 23:29 UTC 版)
「オッパウ大爆発」の記事における「オッパウの化学薬品工場」の解説
当時のオッパウは、ドイツ南西部ルートヴィヒスハーフェン近郊に位置する小さな町であった。現在ではルートヴィヒスハーフェンの一部となっている。 1913年、化学薬品会社バーディシェ・アニリン・ウント・ソーダ・ファブリーク社 (独:Badische Anilin-und Soda-Fabrik AG (BASF)) は、この町にハーバー・ボッシュ法を用いたアンモニア製造工場を作った。 ハーバー・ボッシュ法は空中の窒素と水素を高温高圧で触媒を使って反応させて(空中窒素の固定)アンモニアを作り出す方法で、それから硝酸を作り出した。硝酸は火薬の原材料であり、また硝酸アンモニウムと硫酸アンモニウムを混合すれば肥料(硫硝安混成肥料)にもなる。 第一次世界大戦当時、この工場ではアンモニアが1日に約40トン生産されており、約4500トンの硫硝安混成肥料(硫酸アンモニウムと硝酸アンモニウムの1:2(モル比)複塩)が、「サイロ110」と呼ばれていた貯蔵庫に蓄えられていた。このサイロは半地下式であり、全長60m、幅30m、高さ20m、地下部分の深さ4mであった。
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