エリカ・ポップとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 14:45 UTC 版)
「リチャード・シーマン」の記事における「エリカ・ポップとの結婚」の解説
1938年6月、シーマンはBMWの重役フランツ・ヨーゼフ・ポッツ(英語版)の娘であるエリカ・ポップと出会い、二人は恋に落ちる。エリカの父親はレーシングドライバーが不安定な職業であることを知っていたことから、当初は難色を示したが、娘の決意が固いことを見て折れた。エリカは流暢な英語を話し、シーマンの母リリアンも彼女個人のことはとても気に入るが、イギリスとドイツの間で対立が深まる情勢であったことから、シーマンの母は二人が結婚することには猛反対した。1938年10月末、ドニントングランプリのためイギリスを訪れていたシーマンは、結婚を認めるよう母と話し合うが平行線となり、もう再び会うことがないとも知らず、シーマンと母は和解せぬまま別れた。1938年12月7日、シーマンとエリカ・ポップは結婚した。 シーマンの死後、エリカ・シーマンはイギリスとアメリカ合衆国に移り住んだ後、ドイツに帰って再婚した。再婚後も、シーマンから贈られた婚約指輪は外さずにいたという。 母リリアンは1948年に死去するまで、息子のことを悼み続けた。母の死後、シーマン家が住んでいたウスターシャーのプルコートと呼ばれた邸宅は人手に渡り、1962年以降はインデペンデント・スクールのブレドンスクール(英語版)の施設として使われている。
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