エピゴノイの1人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 17:12 UTC 版)
このテルサンドロスは、ポリュネイケースとアドラーストスの娘アルゲイアーの子で、アドラーストス、ティメアースと兄弟。アムピアラーオスの娘デーモーナッサとの間にティーサメノスをもうけた。 父ポリュネイケースら7将のテーバイ遠征から10年後、テルサンドロスは再びテーバイを攻めるため、アムピアラーオスの妻エリピューレーにハルモニアーのペプロス(長衣)を贈った。エリピューレーは乗り気でない息子アルクマイオーンに参加するよう説得した。エピゴノイの軍勢はグリサス付近でエテオクレースの子ラーオダマースが率いるテーバイ軍と戦争になって、これを破り、テーバイを奪還した。テルサンドロスはテーバイの王となり、国を去ったテーバイ人の一部をテッサリアーのホモレーから帰国させ、彼らが通った門をホモロイデス門と名づけた。 後にテルサンドロスはトロイア戦争に参加したが、ギリシア軍は間違ってミューシアに上陸し、テーレポス王と戦争になった。このときギリシア軍はテーレポスの攻撃によって敗走させられ、テルサンドロスは最後まで戦ったが、テーレポスに討たれた。テルサンドロスの死によって、テーバイ勢はペーネレオースが率いることになった。テルサンドロスの墓は小アジアのアイオリス地方のエライアにあり、土地の人々によって祭祀されたという。 テルサンドロスの子ティーサメノスはテーバイの王となったが、その子アウテシオーンは結局テーバイを去った。さらにその子テーラースはテーラ島に入植した。また前5世紀後半のシチリアのアクラガス王テーローンもテルサンドロスの子孫であったという。
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エピゴノイの1人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/08 04:33 UTC 版)
アドラーストスとプローナクスの娘アムピテアーの子で、アルゲイアー、デーイピュレー、アイギアレイア、キュアニッポスと兄弟。母はデーモーナッサとも、キュアニッポスはアイギアレウスの子であるとも、またディオメーデースの妻はアイギアレウスの娘ともいわれる。 アイギアレウスはエピゴノイの1人としてテーバイに遠征したが、ボイオーティアのグリサス付近で戦争になったさい、エテオクレースの子ラーオダマースに討たれた。彼の死はかつてのテーバイ遠征で父アドラーストスのみが生き残ったかわりであるという。アイギアレウスの遺体はメガラーのパガイに葬られ、その英雄廟はアイギアレイオンと呼ばれた。 なお、シキュオーンのアイギアレイス族はアイギアレウスに由来しているという。
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エピゴノイの1人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 23:18 UTC 版)
このプロマコスは、アルゴス王アドラーストスの兄弟であるパルテノパイオスの子で、エピゴノイの1人としてテーバイの遠征に参加した。プロマコスは死後、ボイオーティアのグリサスに葬られた。
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