エセル・スマイス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 13:28 UTC 版)
エセル・メアリー・スマイス | |
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基本情報 | |
生誕 | 1858年4月23日 |
出身地 |
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死没 | 1944年5月8日(86歳没) |
学歴 | ライプツィヒ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
エセル・メアリー・スマイス(Ethel Mary Smyth DBE, 1858年4月23日 - 1944年5月8日) は、イギリスの作曲家。19世紀後半の女性作曲家としては、フランスのオーギュスタ・オルメスやセシル・シャミナード、アメリカのエイミー・ビーチと並ぶ偉大なパイオニアである。また、女性解放運動の闘士(サフラジェット)としても名を残した、先駆的なフェミニストでもあった。晩年に聴力を失ってからは、エッセイストに転じ、自伝や交遊録を残した。上野千鶴子の著書などではアメリカ英語に基づく表記で「スミス」と紹介されることもある。
生涯
現在はベクスリー・ロンドン特別区に属すシドカップ (Sidcup) で出生。軍人で厳格な父親への反感からドイツに渡り、短期間ライプツィヒ音楽院でザーロモン・ヤーダスゾーンと院長カール・ライネッケに学ぶが、校風になじめず退学。のちウィーンに渡って、ヨハネス・ブラームスの友人ハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルクの個人指導のもとに作曲技法を磨いた。ブラームスのことを「音楽界の救世主」と呼んだほどに熱烈なブラームスの崇拝者であったが、初期と晩年に器楽曲を物したのを除けば、歌曲や合唱曲、とりわけオペラ作曲家として活躍した。
初期の器楽曲にはフェリックス・メンデルスゾーン、ロベルト・シューマン、ブラームスの影響が見られる。帰国後のオペラ作品はアーサー・サリヴァンとリヒャルト・ワーグナーの影響が著しく、色彩的なオーケストラの用法と自在な転調、凝った和声と旋律の創意が顕著である。第一次世界大戦以降は、グスターヴ・ホルストなどの影響のもとに新古典主義に傾いた。生涯を通して、重厚な響きと堅固な構成力、情熱的な表現が特徴的である。
スマイスはカミングアウトこそしなかったものの、同性愛者であり、創作や社会活動の背景と動機は、しばしば恋愛感情に由来している(ミサ曲 ニ短調など)。また、オペラやオペレッタには、フェミニズム(もしくはレズビアン・フェミニズム)的思想を盛り込んだものが認められる(オペラ『難船掠奪民』など)。1930年初頭から、ヴァージニア・ウルフに熱を上げ、両者の間で大量の書簡を取り交わすほどに至った。
1922年、音楽的な功労に対してデイムの称号を授与された。サリー州ウォキング (Woking) で没。
作品
音楽・音声外部リンク | |
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エセル・スマイスの作品を試聴 | |
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![]() 《ここまで》ソフィー・ラングドン(Vn…◇のみ)、リチャード・ワトキンズ(Hrn…◇のみ)、オダリーネ・デ・ラ・マルティネス指揮BBCフィルハーモニックによる演奏。 | |
![]() アレクサンダー・ギブソン指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団による演奏。 | |
![]() リアナ・シェルベスク(P)による演奏。 ******** 以上の演奏、何れもYouTubeアートトラック公式収集による。 |
- ミサ曲 ニ短調
- ヴァイオリン・ソナタ ニ短調
- チェロ・ソナタ イ短調
- 交響的セレナード ニ長調
- オペラ『難船掠奪民』
- 弦楽四重奏曲 ホ短調
- 合唱曲「女たちの行進」
- ヴァイオリンとホルンのための二重協奏曲
脚注
外部リンク
固有名詞の分類
ロマン派の作曲家 |
マックス・フォン・シリングス ハンス・プフィッツナー エセル・スマイス ヨシフ・イヴァノヴィチ ユリウス・レントゲン |
オペラ作曲家 |
ハンス・プフィッツナー ボリス・ティシチェンコ エセル・スマイス 池辺晋一郎 三善晃 |
イギリスの作曲家 |
ジャイルズ・ファーナビー ジェームズ・バーナード エセル・スマイス ナイジェル・ヘス ロビン・ミルフォード |
女性作曲家 |
大慈弥恵麻 フランギス・アリ=ザデー エセル・スマイス ジョーン・タワー 望月京 |
随筆家 |
ウォルター・ペイター エセル・スマイス エゴン・フリーデル ロベール・アロン セヴィニエ侯爵夫人マリー・ド・ラビュタン=シャンタル |
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