エステルハージ=ミクローシュとは? わかりやすく解説

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ニコラウス・エステルハージ

(エステルハージ=ミクローシュ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 14:13 UTC 版)

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ニコラウス2世・エステルハージ
Nikolaus II. Esterházy
ガランタのエステルハージ侯
在位 1794年 - 1833年

出生 (1765-09-12) 1765年9月12日
神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーン
死去 (1833-11-25) 1833年11月25日(68歳没)
オーストリア帝国
ロンバルド=ヴェネト王国コモ
配偶者 マリア・ヨーゼファ・フォン・リヒテンシュタイン
子女 パウル・アントン
ニコラウス
家名 エステルハージ家
父親 アントン1世・エステルハージ
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ニコラウス・エステルハージドイツ語: Nikolaus Fürst Esterházy de Galánthaハンガリー語: Eszterházy Miklós エステルハージ・ミクローシュ1765年9月12日 - 1833年11月25日)は、オーストリア元帥ニコラウス・ヨーゼフ・エステルハージの孫であり、祖父をニコラウス1世と称するのに対してニコラウス2世とも呼ばれる。

生涯

1783年、リヒテンシュタイン侯フランツ・ヨーゼフ1世の娘マリア・ヨーゼファと結婚し、後継者のパウル(3世)・アントン(1786年 - 1866年)らをもうけた。

父のアントンが1794年に没すると、エステルハージ侯爵を襲位した。ニコラウスは解散された楽団を再建しようとし、ロンドン滞在中のフランツ・ヨーゼフ・ハイドンに手紙を書いて再び楽長に就任するように依頼した。ロンドンから戻ったハイドンは楽長に就任した。祖父と異なってニコラウス2世は冬の間はウィーンに滞在することを好んだため、ハイドンはほとんどウィーンを離れずにすんだ。しかし音楽の趣味はかなりかたよっていて、古い時代の宗教音楽を好んでいた。新しい主人の好みに合わせ、晩年のハイドンは6曲のミサ曲を作曲した[1]。1804年には老齢のハイドンにかわってフンメルがコンサートマスター(のちに楽長)に就任した。フンメルもまたミサ曲を作曲した。ベートーヴェンにもミサ曲の作曲を依頼し、ミサ曲 ハ長調(1807年)が作曲されたが、ニコラウス2世の気には入らなかった。

1809年ナポレオン1世からハンガリー王位を提供されたが拒否、ハプスブルク家を支持した。

美術品を多く集め、これは1871年にハンガリーの国有財産となった。

脚注

  1. ^ 大宮真琴『新版 ハイドン』音楽之友社〈大作曲家 人と作品〉、1981年、144-147頁。ISBN 4276220025

関連項目

先代:
アントン1世
ガランタのエステルハージ侯
1794年 - 1833年
次代:
パウル3世

エステルハージ・ミクローシュ(1765年 - 1833年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 14:10 UTC 版)

エステルハージ」の記事における「エステルハージ・ミクローシュ(1765年 - 1833年)」の解説

アンタル息子若い頃近衛隊の将校として勤めグランドツアーへと旅立った。後に、帝国外交官として勤めることになる。ミクローシュクラリネットたしなんでおり、彼の肖像画一つから明らかにされている。

※この「エステルハージ・ミクローシュ(1765年 - 1833年)」の解説は、「エステルハージ」の解説の一部です。
「エステルハージ・ミクローシュ(1765年 - 1833年)」を含む「エステルハージ」の記事については、「エステルハージ」の概要を参照ください。

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