ウジェーヌ・モーリス・ド・サヴォワ=ソワソンとは? わかりやすく解説

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ウジェーヌ・モーリス・ド・サヴォワ=ソワソン

(エウジェーニオ・マウリーツィオ・ディ・サヴォイア=ソワソン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 06:30 UTC 版)

ウジェーヌ・モーリス
Eugène Maurice
ソワソン伯
在位 1656年 - 1673年

出生 (1635-03-02) 1635年3月2日
フランス王国シャンベリ
死去 (1673-06-06) 1673年6月6日(38歳没)
神聖ローマ帝国ヴェストファーレン
配偶者 オリンピア・マンチーニ
子女 一覧参照
家名 サヴォワ=ソワソン家
父親 カリニャーノ公トンマーゾ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア
母親 ソワソン女伯マリー・ド・ブルボン=コンデ
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ウジェーヌ・モーリス・ド・サヴォワEugène Maurice de Savoie, 1635年3月2日 - 1673年6月6日)は、ルイ14世に仕えたフランスの軍人、貴族である。家名はサヴォワ=ソワソンSavoie-Soissons)またはサヴォワ=カリニヨンSavoie-Carignan[1]とも称される。サヴォイア家支族サヴォイア=カリニャーノ家傍系のサヴォワ=ソワソン家の祖で、ソワソンおよびドルー伯爵。父はカリニャーノ公トンマーゾ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア、母はブルボン=コンデ家傍系のマリー・ド・ブルボン=コンデで、母からソワソン伯爵位を相続したことからソワソンの家名でも呼ばれることになった。

オーストリアに仕えた将軍プリンツ・オイゲン(ウジェーヌ・ド・サヴォワ)の父である。

略歴

1657年2月21日パリにてマザラン枢機卿の姪オリンピア・マンチーニと結婚した。

ブルボンとシャンパーニュ県とブリー県の総督で在ロンドン仏大使であった。フランス軍で活躍し、1672年には将軍補佐まで昇格した。ダンケルクの包囲に参加(1658年)、ドゥエーアウデナールデを占領(1667年)、フランシュ=コンテの会戦でスペインと対した。

1673年6月、風邪で倒れた(毒を盛られたという噂が流れた)。死後は息子のルイ・トマが後を継いだ。

子女

オリンピア・マンチーニとの間に以下の子女をもうけた。

脚注

  1. ^ イタリア語名はエウジェーニオ・マウリーツィオ・ディ・サヴォイア=ソワソン: Eugenio Maurizio di Savoia-Soissons)またはサヴォイア=カリニャーノ: Savoia-Carignano
先代
トマ・フランソワ
マリー・ド・ブルボン
ソワソン伯
1656年 - 1673年
次代
ルイ・トマ



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