ウ・オッタマとの交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 22:42 UTC 版)
1910年(明治41年)、いとう呉服店栄店の開店当日、店に偶然立ち寄ったウ・オッタマ(en:U Ottama 1881年 - 1939年)との交流はその後の祐民に大きな影響を与えた。ビルマの僧侶であり、独立運動家でもあったオッタマは浄土真宗本願寺派第22世法主・大谷光瑞の招きで来日、日本の実状を見聞すべく東京まで歩いて旅をする途中であったという。 来日したオッタマは伊藤家に宿泊することも度々で、ビルマからの留学生受け入れを口約束した祐民の元に6人の留学生を送り、祐民は自宅で同居(後に一軒家を借りて「ビルマ園」と名づけた)しながら日本語や作法などを教え、その後は日本の学校で学ばせている。これは後に伊藤家の別荘揚輝荘に多くの海外留学生を受け入れるきっかけともなった。オッタマの来日がイギリス政府によって禁止された後は1934年のビルマ・インド歴訪の際に再会、共に仏跡を巡っている。
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