ウィンズケール原子炉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 19:28 UTC 版)
「ウィンズケール原子炉火災事故」の記事における「ウィンズケール原子炉」の解説
第二次世界大戦後、英国政府は世界の強国として軍備拡張競争の発展に置き去りにされたくないがために、可能な限り早い、独自の核開発に乗り出した。 原子炉はカンブリア州にある小さな村、シースケールの近くに建てられた。ウィンズケール原子炉1号基および2号基として知られていた2つの原子炉は、数百フィート隔てて建てられた大きなコンクリートの建屋に収容されていた。原子炉は黒鉛減速・空気冷却炉であった。核分裂反応は大量の熱を発生するため、黒鉛のチャンネル(燃料を通すための溝)を介して空気を吹き込むことによって炉心を冷却する必要があった。冷却用の空気は一組の大型ファンにより取り入れられ、高温の空気は炉心の背面から外に排出され煙突を昇った。フィルタはノーベル賞受賞者でAEREの責任者だったジョン・コッククロフトの介入で建設の後の方で追加され、燃料排出面の真上にある回廊に収納された。フィルタなど不要で、費用と時間の無駄であり技術的な頭痛の種になるだけとみなされ、大きなコンクリートの建屋の400フィート(120メートル)の煙突の上部に工期の終わり頃に追加された。このために、建設作業者や技術者達には「コッククロフトの飾り物」(英: Cockcroft's Folly) と呼ばれていた。
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