ウィンストン・アブレイユとは? わかりやすく解説

ウィンストン・アブレイユ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 05:01 UTC 版)

ウィンストン・アブレイユ
Winston Abreu
タンパベイ・レイズ時代
(2010年2月21日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 サンチェス・ラミレス州コツイ英語版
生年月日 (1977-04-05) 1977年4月5日(46歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2006年8月6日
NPB / 2008年3月24日
最終出場 MLB / 2009年7月25日
NPB / 2008年5月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウィンストン・レオナルド・アブレイユ・ソレールWinston Leonardo Abreu Soler, 1977年4月5日 - )は、ドミニカ共和国サンチェス・ラミレス州コツイ英語版出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

プロ入りとマイナーリーグ時代

1993年7月2日、当時16歳でアトランタ・ブレーブスと契約。

1994年からはマイナーリーグで主に先発投手として試合に出場し、1996年までの3年間で38試合に登板するも、1997年は右肘靭帯のトミー・ジョン手術を受けたため、全休した[1]

1998年に復帰し、1999年はA級とA+級合計で10勝をマーク[1]2000年は初めてAA級やAAA級に昇格したものの、シーズンの大半はA級でのプレーであった。またこの頃からリリーフとしての登板が中心になった。

2001年は、傘下AA級グリーンビル・ブレーブス英語版で34試合に登板して、9月までに3勝5敗、防御率4.64という結果に終わった[1]。9月6日にルディ・シアネスとのトレードでサンディエゴ・パドレスへと移籍[2]。パドレス傘下での登板機会はなかった。

2002年3月19日にトレードでシカゴ・カブスへと移籍した[2]。傘下AA級ウェストテン・ダイヤモンドジャックスで11試合に登板して、1勝0敗、防御率7.20の成績に終わり、4月30日に自由契約となった[2]。5月9日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約した。傘下AA級ウィチタ・ラングラーズ英語版で23試合に登板して、3勝0敗2セーブ、防御率3.32の成績を残した[2]。オフの10月15日にFAとなった[2]。11月22日にニューヨーク・ヤンキースと契約した。

2003年は、ヤンキースのスプリングトレーニングに参加したが、3月21日に自由契約となり[2]、この年はいずれの球団にも所属せず浪人することになった[2]

2004年は、1月12日にロサンゼルス・ドジャースと契約して球界復帰を果たしたが[2]、6月10日に自由契約となった。6月14日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約。この年は両球団のAAA級を中心に45試合に登板し、3勝3敗3セーブ、防御率6.31の成績を残した[2]

2005年は、AAA級ツーソン・サイドワインダーズで開幕を迎え、27試合に登板して、2勝3敗2セーブ、6.48の成績を残した[2]。6月12日にメキシカンリーグオアハカ・ウォーリアーズにレンタル移籍し、ストッパーとして18試合に登板、4勝0敗10セーブ、防御率1.35という好成績を残した[2]

オリオールズ時代

2005年12月20日にボルチモア・オリオールズと契約[2]

2006年は、AAA級オタワ・リンクスで自己最高の数字を残し、8月1日に遂にメジャー初昇格を果たした。そして8月6日のニューヨーク・ヤンキース戦の9回にメジャー初登板。この時点で29歳、マイナーでの通算登板数は294試合にも上っていた[1]。初めての対戦打者はアレックス・ロドリゲスで、見逃し三振に打ち取った[3]。この年は最初の4試合で6.1回を無失点に抑えるなど力投していたが、その後の3登板で10失点(自責点9)を喫するなど、シーズンでは防御率10.13に終わった。オフの10月16日にFAとなった[2]

ナショナルズ時代

2007年3月8日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[4][2]。5月8日にメジャーでのシーズン初登板し、最初の11試合に投げた時点では防御率2.31を記録していたが、5月の終盤から6月にかけて調子を崩し、マイナーへと降格。その後、ロースターの拡大に伴って9月にメジャーに復帰し、7試合に登板。シーズンでは前年を大幅に上回る26試合に登板した。また、この年はAAA級でも37試合で防御率1.20、WHIP0.84と好投した[1]。オフの10月11日にFAとなった[2]

ロッテ時代

2007年12月23日に千葉ロッテマリーンズと年俸4600万円(推定)の1年契約を結んだ。

2008年はシーズン序盤こそ一軍に定着し中継ぎである程度活躍したものの、5月に右肘痛により戦線離脱。6月6日に右肘の骨片除去手術を受けると[1]、それ以降は一軍、二軍ともにマウンドにあがることができず、不本意な結果となってしまった。その後、12月2日に自由契約公示された。なお、千葉マリンスタジアムでの登板時テーマ曲はジェロの「海雪」であった。

ロッテ退団後

2009年2月6日、タンパベイ・レイズにマイナー契約で入団し、6月14日のコロラド・ロッキーズ戦でおよそ2年ぶりにメジャーのマウンドに立つが、レイズでは2試合に投げただけで6月27日にDFAとなり、7月2日にクリーブランド・インディアンスに移籍した[1]。ところがインディアンスでも3試合に投げただけで8月1日にDFAとなり、その5日後の8月6日(前の契約から半年後)にレイズと契約[1]。短期間で古巣に復帰することになった。結局その後メジャーで投げる機会はなく、シーズンでは5試合登板に終わったが、AAA級ダーラム・ブルズでは、37試合に登板して3勝1敗15セーブ、防御率1.94、WHIP0.77と安定した働きを見せていたこともあり、シーズン終了後にレイズと契約を延長した。

2010年はAAA級ダーラムで51試合に登板して0勝4敗23セーブ、防御率2.28、WHIP1.01を記録して、2年続けて結果を残したものの、メジャーでの登板機会には恵まれず、オフの11月6日にFAとなった[1]

2010年11月29日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、2011年のブルージェイズのスプリング・トレーニングに参加することになった[1]。開幕はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで迎え、この年のメジャー昇格はなかった。

2012年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約。ストッパーとして45試合に登板し、4勝1敗15セーブ、防御率3.83を記録した[2]

2013年、メキシカンリーグのシウダーデルカルメン・ドルフィンズベラクルス・レッドイーグルスでプレーしていたが、5月7日にアトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュと契約した[5]。ブリッジポートでは54試合に登板して、2勝0敗12セーブ、防御率1.47の好成績を記録[2]

2014年もブリッジポート・ブルーフィッシュでプレー。54試合に登板して、3勝7敗17セーブ、防御率4.85という成績だった。

2015年アメリカン・アソシエーションジョプリン・ブラスターズ英語版と契約。オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。

2016年もジョプリン・ブラスターズでプレーしていたが、6月24日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約。8月20日にアメリカン・アソシエーションのウィニペグ・ゴールドアイズと契約。

2017年4月20日にアメリカン・アソシエーションのクリバーン・レイルローダーズ英語版と契約。10月30日に自由契約となった。

2019年1月15日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[6]。登板機会なく、オフの11月4日にFAとなった[1]

2020年1月10日にロイヤルズとマイナー契約で再契約したが[1]新型コロナウイルス感染症の影響でマイナーリーグが開催中止となったため、プレーすることなく11月2日に自由契約となった[1]。この年限りで現役を引退した。

現役引退後

2021年より、独立リーグ・パイオニアリーグビリングス・マスタングス英語版の投手コーチに就任した[7]

その他

最速150km/hオーバーのストレートが最大の武器で投球の大半を占める。変化球は、スライダーチェンジアップを投げる[要出典]

高校時代にはボクシングの経験もある[1]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2006 BAL 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 42 8.0 10 1 6 1 1 6 0 0 10 9 10.13 2.00
2007 WSH 26 0 0 0 0 0 1 0 4 .000 133 30.1 37 7 9 1 0 26 2 1 21 20 5.93 1.52
2008 ロッテ 20 0 0 0 0 1 2 0 6 .333 94 21.2 23 2 8 0 0 24 0 0 9 8 3.32 1.43
2009 TB 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 15 3.2 3 0 2 0 0 3 0 0 1 1 2.45 1.36
CLE 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 17 2.1 7 2 2 0 1 3 0 0 7 6 23.14 3.86
'09計 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 32 6.0 10 2 4 0 1 6 0 0 8 7 10.50 2.33
MLB:3年 38 0 0 0 0 0 1 0 4 .000 207 44.1 57 10 19 2 2 38 2 1 39 36 7.31 1.71
NPB:1年 20 0 0 0 0 1 2 0 6 .333 94 21.2 23 2 8 0 0 24 0 0 9 8 3.32 1.43

年度別守備成績



投手(P)












2006 BAL 7 1 0 0 0 1.000
2007 WSH 26 2 1 0 0 1.000
2008 ロッテ 20 2 6 0 1 1.000
2009 TB 2 0 0 0 0 ----
CLE 3 0 1 0 0 1.000
'09計 5 0 1 0 0 1.000
MLB 38 3 2 0 0 1.000
NPB 20 2 6 0 1 1.000

記録

NPB

背番号

  • 40 (2006年)
  • 63 (2007年)
  • 43 (2008年)
  • 49 (2009年)
  • 59 (2009年)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n MLB公式プロフィール参照。2022年2月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Winston Abreu Stats & Scouting Report”. Baseball America. 2022年2月12日閲覧。
  3. ^ New York Yankees at Baltimore Orioles Box Score, August 6, 2006”. Baseball-Reference.com. 2022年2月12日閲覧。
  4. ^ 月刊スラッガー』2007年2月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、74頁。
  5. ^ 'FISH ADD FORMER BIG LEAGUE ARM bridgeportbluefish.com 2013年5月7日配信
  6. ^ Eddy, Matt (2018年1月23日). “Minor League Transactions: Jan 11 - Jan 17”. Baseball America. 2018年1月23日閲覧。
  7. ^ Scott Breen (2021年5月12日). “Former Billings Mustangs players to join coaching staff”. Montana Sports.com. 2022年2月12日閲覧。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 レロン・リー  三島輝史  ウィンストン・アブレイユ  平井光親  早川健一郎
クリーブランド・インディアンスの選手 ケイシー・ブレイク  レロン・リー  ウィンストン・アブレイユ  カム・ケアーンクロス  トーリ・ロブロ
ボルチモア・オリオールズの選手 オーブリー・ハフ  ティム・レインズ  ウィンストン・アブレイユ  ロジャース・ホーンスビー  ラス・オルティス
ワシントン・ナショナルズ及びモントリオール・エクスポズの選手 ジョエル・ハンラハン  ティム・レインズ  ウィンストン・アブレイユ  ラリー・ウォーカー  タイラー・クリッパード
ドミニカ共和国の野球選手 トニー・アブレイユ  フレッディ・ガルシア  ウィンストン・アブレイユ  ラモン・マルティネス  ヘクター・カラスコ
タンパベイ・レイズ及びタンパベイ・デビルレイズの選手 グレッグ・ゾーン  オーブリー・ハフ  ウィンストン・アブレイユ  ジェレミー・ゴンザレス  ゲーリー・グローバー

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