ウィリアム・K・バートンの報告書
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「台北市区計画」の記事における「ウィリアム・K・バートンの報告書」の解説
1896年(明治29年)に台湾総督府衛生顧問に就任した後藤新平は、同年7月、内務省雇技師ウィリアム・K・バートン(William Kinninmond Burton, 1856年 - 1899年)を上下水道整備調査のため、台湾に派遣した。バートンは、翌1897年(明治30年)4月に以下の内容の報告書を提出した。 (1) 台北、(2) 基隆、(3) 台南、安平、澎湖島、嘉義などの順で速やかに衛生工事を必要とする。 台北では水源を至急選定すべきであるが、在来の井戸を活用するため下水工事を優先すべきである。 そのために第一に台北市街設計図を作成し、幅員を定め道路を開削し、これに付随する下水道を同時に付設すべきである。 総督府は、このバートンの提案を受け入れた。台北では1885年(明治28年)より下水道工事が行われており、さらにその後、1907年より新店渓を水源とする上水道工事(台北水道)が行われていたが、これと道路の拡幅を併せて進めることを得策と判断されたのである。
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