イーウェルの第2軍団の動き
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「第二次ウィンチェスターの戦い」の記事における「イーウェルの第2軍団の動き」の解説
6月4日-11日 第2軍団は6月4日にハミルトンズ・クロッシングを出発し、カルペパーに向かい6月7日に到着した。北軍が大挙してラッパハノック川を渡ったという情報が入り、リーはイーウェルに北東のブランディ・ステーションに向かうよう命じ、イーウェルは6月9日のブランディ・ステーションの戦いでJ・E・B・スチュアートの戦いを支援しようとしたが、既に北軍は退却した後だった。イーウェルは6月10日に進軍を再開し、6月11日にはアーリーとジョンソンの師団がスペリービル・ターンパイクを経てゲインズ交差点に至り、一方ローズ師団はリッチモンド道路を通ってフリントヒルに至った。11日の夜、イーウェルはリーに相談した後で、アーリー、ジョンソンおよび第2軍団の地形学者であるジェデディア・ホッチキスと会い、接近路と第2軍団の目標であるウィンチェスターとマーティンスバーグの占領について検討した。 6月12日 第2軍団はフロントロイヤルの南西、チェスターズギャップを過ぎてフロントロイヤル・パイク(現在のアメリカ国道522号線)を進んだ。そこでアルバート・G・ジェンキンス准将の騎兵旅団が合流した。イーウェルはアーリーとジェンキンスに相談して軍団レベルの作戦を作り、軍団を分けて2つの基本的に独立した動きをすることにした。 北のベリービルとマーティンスバーグに対して妨害と遮断の操軍:部隊: ローズ師団およびジェンキンスの騎兵旅団 進軍方向: 北に分岐しベリービルを経てマーティンスバーグに至る イーウェルの目的: もし可能ならばマクレイノルズの1,800名の部隊を捕獲し、北のマーティンスバーグに圧力を掛ける ウィンチェスターに向けた主力部隊の操軍:部隊: アーリー師団、ジョンソン師団およびジェンキンスの騎兵旅団のうち第16バージニア騎兵大隊(ジェイムズ・H・ヌーナン少佐) 進軍方向: 北西のウィンチェスターに向かう イーウェルの目的: ウィンチェスターの要塞とミルロイの6,000ないし8,000名の部隊を攻撃する 6月12日の終わりまでに、ローズ師団はフロントロイヤルの北5マイル (8 km)に達してストーン橋で宿営し、ジョンソン師団はシーダービルに、アーリー師団はシェナンドー川で宿営した。
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