インカ帝国による征服(15世紀-16世紀)
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「アルゼンチンの歴史」の記事における「インカ帝国による征服(15世紀-16世紀)」の解説
アルゼンチンの領域は、インカ皇帝トゥパク・インカ・ユパンキとワイナ・カパックの遠征によって征服され、タワンティンスーユ(インカ帝国)の一州であるコジャスーユに組み込まれたものの、北西部のアンデス山脈地方においてさえもインカ帝国の権威は強くなかった。インカ時代においてもアルゼンチンは辺境の地であったといえる。アルゼンチンにおけるインカ帝国の領域は現在のフフイ州、サルタ州、トゥクマン州、カタマルカ州、ラ・リオハ州、サン・フアン州、サンティアゴ・デル・エステロ州、メンドーサ州北西部にまで及んでいた。 16世紀のスペイン人による発見直前の現在のアルゼンチンの地域には、草原地帯、山岳地帯共に約12の部族、合計24の部族を併せておよそ340,000人のインディオがいたと推計されている。インカ帝国の一部であった北西部のアンデス地域が最も発展しており人口が多く、パンパには30,000人、パタゴニアには10,000人ほどのインディオがいたとされている。パタゴニアの名はフェルナン・デ・マガリャンイス(マゼラン)が遭遇したインディオの足の大きいことに驚いたことから来ているが、パンパはケチュア語からであり、この草原地域にまでインカ帝国の影響があったことが窺える。アルゼンチンにおけるインカ文明の影響は、現在もアンデスのフォルクローレの代表的な曲『ウマウアカの男』に歌われるフフイ州ウマウアカ村のカルナバルなどに見てとれる。
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