イラク戦争後の状態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 05:18 UTC 版)
「シャットゥルアラブ川」の記事における「イラク戦争後の状態」の解説
2003年のイラク戦争では、人道支援物資の供給および密輸の撲滅のために、イラクの唯一の海への出口であるシャットゥルアラブ川の確保は重要とされた。戦争開始初期、イギリス海軍はウムカスルの港湾と石油施設に対し水陸両面から作戦を行った。 戦闘の終了後、イギリスはシャットゥルアラブ川とその河口部の湾岸の警備を行い、後に国際連合安全保障理事会決議1723により正式に警備任務についた。これによりイギリス軍は川と河口を用いた武装の密輸を防いでいるほか、イラク海軍に対し航路警備を引き継がせるための訓練を行っている。 シャットゥルアラブ川より先のペルシャ湾においては、シャットゥルアラブ川中間線を延長した国境線が引かれているが、川の運ぶ土砂と砂州形成により海上の国境は不明確となる。イラク戦争後、イギリス海軍の艦艇がイランの主張する領域内を通ったとしてイラン軍に拿捕される事件が2004年6月と2007年3月の二度起き、両国の間の政治危機となった。
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