アンボワーズの陰謀と聖像破壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 05:31 UTC 版)
「ユグノー戦争」の記事における「アンボワーズの陰謀と聖像破壊」の解説
1560年3月、プロテスタント貴族ラ・ルノーディを中心とする不平貴族たちがフランソワ2世を誘拐してギーズ家を除こうと謀った。だが陰謀は露見し、数百人の容疑者たちが処刑されてしまう。ギーズ兄弟はブルボン家のコンデ公ルイが黒幕であると疑った。コンデ公は11月に逮捕された。このことにより対立は一層深まった(アンボワーズの陰謀)。 この後の論争の中で、フランスのプロテスタントはユグノーと呼ばれるようになった。ユグノーはドイツ語のEidgenosse(アイドゲノッセ、盟友の意味)から生まれた蔑称である。 ユグノーによるカトリック教会に対する最初の聖像破壊が1560年にルーアンとラ・ロシェルで発生し、翌年には20の都市に広まった。これに激怒したカトリックの都市住民による流血の報復がサンス、カオール、カルカソンヌ、トゥールその他の都市で行われた。 王太后カトリーヌ・ド・メディシスはフォンテーヌブロー諮問会議を召集してカトリックとプロテスタントの融和を図るが、ギーズ家は異端絶滅を計画していた。
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