アンドレアス・クレイエルとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アンドレアス・クレイエルの意味・解説 

アンドレアス・クレイエル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 01:32 UTC 版)

アンドレアス・クレイエル(Andreas Cleyer、1634年6月27日 - 1698年ごろ)は、江戸時代前期の長崎オランダ商館長植物学者ドイツ語読みでアンドレアス・クライアー、名のアンドレアスはAndriesとも表記される。

経歴・人物

ブランデンブルク=プロイセンカッセルの生まれ。オランダ東インド会社に入社し、バタヴィア(現在のジャカルタ)で東洋医学薬学を研究した。

後に来日し、出島で第43代(平戸を含めると第51代)オランダ商館長を1682年天和2年)から1686年貞享3年)まで2期に渡り就任した。滞日中はゲオルク・マイスタードイツ語版と共に通訳日本植物の研究や医師の指導に携わった。また、当時江戸幕府の将軍であった徳川綱吉とも親睦を深めたことでも有名である。後に当時の加賀藩主であった前田綱紀の要請により後に野呂元丈らに翻訳されたレンベルト・ドドエンスの『クリュードベック』の銅版を出版した[要出典]

任期満了後は再度バタヴィアに戻り、滞日中の蔵書を当時アムステルダムの市長であったニコラエス・ウィッテン英語版や、ポーランド人ヤコブ・ブレイン英語版、クレイエルの友人であったクリスチャン・メンツェルドイツ語版に送る等江戸時代における日本と欧州の関係の向上に貢献した。これによってクレイエルが執筆した蔵書は後に故郷ドイツのベルリン国立図書館に所蔵された。

その他

モッコク科サカキ属の常緑高木であるサカキの学名(Cleyera japonica)は、クレイエルに因んで名付けられている。

著書

  • 『中国医学小論』- 1682年(天和2年)刊行。

出典

先代
ヘンドリック・カンジウス
長崎オランダ商館長
第51代:1682年10月20日 - 1683年11月8日
次代
コンスタンティン・ランスト・デ・ヨング
先代
ヘンドリック・ファン・ブイテンヘム
長崎オランダ商館長
第54代:1685年10月17日 - 1686年11月5日
次代
コンスタンティン・ランスト・デ・ヨング



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アンドレアス・クレイエルのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アンドレアス・クレイエル」の関連用語

アンドレアス・クレイエルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アンドレアス・クレイエルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアンドレアス・クレイエル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS