アルヘシラスの陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 18:33 UTC 版)
「ジブラルタル包囲戦 (1349年-1350年)」の記事における「アルヘシラスの陥落」の解説
1342年8月、アルフォンソ11世はジブラルタル湾の西側にあるアルヘシラスの要港を包囲し、カスティーリャ海軍が街から海へのアクセスを遮断した。20ヶ月の包囲戦で注目すべきところはムーア人が大砲を使ったことである。ヨーロッパで銃火器が効果的に使われた最初の戦いだった。カスティーリャを撤退させたものの、アルヘシラス湾の入り口を横切ってブームを起こし、封鎖が完了するまで、どちらの陣営も優勢になれなかった。基地がすぐに切り離され、ユースフ1世は1344年3月に敗北し、アルヘシラスが降伏し、駐屯軍が平和的に撤退して、グラナダからカスティーリャに進貢を継続する代わりに15年間停戦することを申し出た。アルフォンソ11世は提案を受け入れたものの、停戦期間を10年に減らした。 アブー・アルハサン・アリーが息子のアブー・イナーンに敗北したことで、停戦は1348年までしか続かなかった。ユースフ1世がカスティーリャ領に急襲して敵対行為を再開したので、アルフォンソ11世は1348年12月にカスティーリャ議会でカスティーリャ領内にあるムーア人の飛び地だったジブラルタルに向かって進軍すると宣言した。ジブラルタルは簡単な目標ではなかった。街は、新たな城壁、塔、大幅に強化された要塞、ムーア城により、改めて十分に要塞化されていた。ジブラルタル南部の要塞化の不足など、1333年の包囲戦で露呈した多くの弱点が改善されていた。
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