アラブ共和国連邦とは? わかりやすく解説

アラブ共和国連邦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/27 15:22 UTC 版)

アラブ共和国連邦
اتحاد الجمهوريات العربية (アラビア語)



1972年 - 1977年


(国旗) (国章)
国歌: حماة الديار(アラビア語)
祖国を守る者たちよ(シリア)

アラブ連合共和国の位置(1972年)
公用語 アラビア語
首都 カイロ(エジプト)
トリポリ(リビア)
ダマスカス(シリア)
大統領
1972年 - 1977年 アンワル・アッ=サーダート
首相
1972年 - 1977年 アフマド・アル=ハティブ英語版
面積
1977年 2,947,171km²
人口
1977年 52,703,600人
変遷
国民投票 1972年3月
成立 1972年7月1日
解体 1977年11月19日
通貨 エジプト・ポンド
リビア・ディナール
シリア・ポンド
現在  エジプト
シリア
リビア
スーダン
アラブ共和国連邦の軍艦旗

アラブ共和国連邦(アラブきょうわこくれんぽう、アラビア語: اتحاد الجمهوريات العربية、ittiħād al-jumhūriyyāt al-`arabiyya、英語: Federation of Arab Republics)は、1972年3月にエジプトリビアシリアの三カ国で国民投票が行われ成立した汎アラブ主義国家の名称である。エジプトのアンワル・アッ=サーダートが大統領、シリアのアフマド・アル=ハティブ英語版が首相を務めた。エジプトはさらに踏み込んだ統合を求めたがリビアやシリアは完全な合併には賛成せず、国旗などの象徴的な統合にとどまった。モハメド・アン=ヌメイリスーダンは短期間加入と脱退を繰り返した[1][2][3]。連邦は1972年7月1日に建国し、1977年11月に解体した。

赤・白・黒の汎アラブ色に金色のクライシュ族の鷹(クライシュの鷹)という国旗は各国でその後も使われたが、1977年11月にエジプト大統領のサーダートがイスラエルを訪問したことに反発したリビアのムアンマル・アル=カッザーフィーが国旗を緑一色に変えたことを皮切りに、シリアのハーフィズ・アル=アサド1980年に、エジプトは1984年にこの国旗の使用をやめた。(エジプト国旗の変遷を参照)

「領土」の変遷

出典

関連項目





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