カダフィとアラブ共和国連邦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/21 15:03 UTC 版)
「汎アラブ主義」の記事における「カダフィとアラブ共和国連邦」の解説
1969年クーデターで王政を打倒してリビア・アラブ共和国を樹立したムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)はナーセルに大きな影響を受けており、汎アラブ主義に則った合併をエジプト及びシリアに呼びかけ、1972年3月にはエジプト・リビア・シリアの三カ国で国民投票が行われその成立が支持された。エジプトはさらに踏み込んだ統合を求めたがリビアやシリアは完全な合併には賛成せず、国旗などの象徴的な統合にとどまった。連邦は1972年7月1日に成立したが、1977年11月にエジプト大統領のアンワル・アッ=サーダートがイスラエルを訪問しイスラエルとの協調路線に舵を切ったためシリアやリビアの反発を招き同年には解体した。 なお、アラブ共和国連邦設立時に採用された赤・白・黒の汎アラブ色に金色のクライシュ族の鷹という統一国旗は、連邦解体に伴いリビアが国旗を緑一色に変えたことを皮切りに、シリアは1980年に、エジプトは1984年にこの国旗の使用をやめた。
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