アマゾン地方の国境線問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/01 14:21 UTC 版)
「アクレ紛争」の記事における「アマゾン地方の国境線問題」の解説
17世紀、ブラジルでは、大西洋沿岸部から内陸へ進出する動きが現れた。バンデイランテスと呼ばれる武装集団が、インディオ狩りと金鉱脈探索を目的としてアマゾンに分け入った。またイエズス会もキリスト教の布教とインディオ保護を目的としてアマゾンに入った。 18世紀、ブラジル側からのアマゾンの開発が進むと、スペインとポルトガルの間で、ラテンアメリカでの植民地の境界線を巡る争いが生じた。両国間の争いは、1750年のマドリッド条約(スペイン語版)、1777年に結ばれた第一次サン・イルデフォンソ条約で一応の解決をみた。これらの条約により、未開の地であったアマゾン領域の国境線が定められ、ブラジルのアマゾン川流域の領土が拡大した。 19世紀に入り、ラテンアメリカのスペイン植民地が次々に独立した。しかし、独立した各国にはブラジルに対抗できる国力が不足していた。1867年、ブラジルとボリビアの間に、アヤクチョ条約(英語版、スペイン語版)が締結された。この条約でボリビア政府は、マデイラ川、アブナ川の下流の地域を放棄した。ボリビアの愛国者たちは、この政府の決定を厳しく批判したが、これらの地域を統治するには多額の費用がかかり、現実的な選択ではなかった。
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