アッサニー・ポンラチャンとは? わかりやすく解説

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アッサニー・ポンラチャン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 07:51 UTC 版)

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アッサニー・ポンラチャン
อัศนี พลจันทร
ペンネーム ナーイピー、サーイファイ、ルンファイ
誕生 1918年9月15日
タイ ラーチャブリー県
死没 1987年11月28日
ラオスウドムサイ県
職業 詩人 作家 革命家
国籍 タイ
代表作 『望郷』、『東北』
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アッサニー・ポンラチャンอัศนี พลจันทร, 1918年9月15日 - 1987年11月28日)は、ナーイピーの名で知られるタイ詩人作家革命家ラーチャブリー県出身。

略歴

アッサニーは、1918年9月15日ラーチャブリー県ムアンラーチャブリー郡タムボン・ナームアン バーン・ターサオで生まれる。1936年タンマサート大学政治学部入学。大学時代に文学に興味を持ち、ナーイピーのペンネームで創作を始める。卒業後、1941年12月21日三等検察補佐官としてパッタニー県へ赴任。サラブリー県アユタヤ県などを転々とし、1952年に離職。その後、ピブーンソンクラーム政権の言論統制の中、アッサニーは反政府活動に従事しつつ、ペンネームや居住地を変え、身を隠しながら作品を世に出していった。1961年にはタイ国共産党幹部サーイファイの名で再び姿を現したが、その後のタイ国共産党弾圧によりベトナム中国などに亡命を余儀なくされ、1987年11月28日ラオス ウドムサイ県にて客死。1997年11月22日アッサニーの遺骨はタイに返還された。

作品

  • 『東北』1952年(อีศาน)- 1952年のタイ東北部の大旱魃に触発されて書いたもの。
  • 『望郷』1982年(คิดถึงบ้าน、もしくはเดือนเพ็ญ)

短編

  • 『何のための医者』

邦訳

  • 岩城雄次郎 編訳 「ナーイピー」『タイ現代詩選‐アジアの現代文芸[タイ]⑧』財団法人大同生命国際文化基金 1994年 p.195-205。以下収録4篇[1]
    • 『濡れ手で粟の、いい商売』1951年
    • 『おいらはジャック、鬼どもを殺せ』1951年
    • 『東北』1952年
    • 『望郷』

参考文献

  1. ^ 岩城雄次郎 編訳 「ナーイピー」『タイ現代詩選‐アジアの現代文芸[タイ]⑧』財団法人大同生命国際文化基金 1994年 p.195-205。




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