アスランチェリイ・トハクシノフとは? わかりやすく解説

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アスランチェリイ・トハクシノフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/17 13:56 UTC 版)

アスランチェリイ・トハクシノフ

アスランチェリイ・キトヴィチ・トハクシノフロシア語: Асланчерий Китович Тхакушиновアディゲ語: Тхьакӏущынэ Аслъан Кытэ ыкъорAslancheriy Kitovich Tkhakushinov1947年7月12日 - )は、ロシア学者教育者政治家。マイコープ工科大学学長を経て、2007年から2017年までの約10年間、アディゲ共和国首長(大統領級)を務めた。社会学博士統一ロシア所属。

経歴・概要

1970年アディゲ教育大学文献学部を、1977年体育学部をそれぞれ卒業する。1971年から1983年まで、身体文化・スポーツ委員会を指導した。1983年から1994年までマイコープ職業訓練校で学部長、校長を経て、1994年から2006年までマイコープ工科大学学長を務めた。

トハクシノフは教育者、学者の傍ら、1981年から地方議会(ソビエト)の代議員に選出され、1990年にはアディゲ人民代議員に選出されている。1992年アディゲ共和国最高会議代議員。第一期議会では文化・教育・青年問題委員会議長の後、人道委員会議長を務めた。2000年ロシア大統領選挙2004年ロシア大統領選挙ではトハクシノフは、ウラジーミル・プーチンの代理人となって選挙運動に当たった。

2002年1月13日アディゲ大統領選挙に立候補したが、7人の候補中、5位で得票率2.6パーセントに終わった。2006年12月6日プーチンはトハクシノフをアディゲ共和国大統領候補に指名し、2007年1月13日に大統領に就任。2007年ロシア下院選挙では、与党統一ロシアの候補者リストに上位で掲載された[1]。2011年5月1日に大統領職が首長に職位名変更[2]。2017年1月12日に退任。

私生活では夫人との間に息子が一人いる。

脚注

  1. ^ アーカイブされたコピー”. 2007年11月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2007年11月9日閲覧。
  2. ^ Administrative Divisions of the Russian Federation - Adygeya (Adygey)

外部リンク

公職
先代
ハズレト・ソヴメン英語版
アディゲ共和国首長
第3代:2007 - 2017
次代
ムラト・クンピロフロシア語版
(代行)




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