アウグスト強王との出会い
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「マクシミリアーネ・フォン・ランベルク」の記事における「アウグスト強王との出会い」の解説
ザクセン選帝侯のアウグストがエスターレ伯爵夫人と出会ったのは1696年8月、皇帝レオポルト1世がウィーンで開いた宮廷舞踏会でのことだった。伯爵夫人は長身、金髪、享楽的で魅力的な女性だった。ザクセン選帝侯の求愛に応えた褒美として伯爵夫人には4万グルデンの大金が贈られた。伯爵夫人の夫は帝室財務官と地位のある人だったので選帝侯も無碍には出来ず、年額2万グルデンの手当金が与えられ、選帝侯との間の協定が結ばれた。既婚女性と君主との愛人関係ではよくあるように、伯爵夫人の夫は妻に対する結婚生活上の全ての権利を放棄させられたが、将来夫人と選帝侯との間に生まれた子には夫の姓を名乗らせる、というものだった。 選帝侯の正妃クリスティアーネ・エーバーハルディーネ、当時の公妾アウローラ・フォン・ケーニヒスマルクは、1696年10月にそれぞれ選帝侯の息子を出産したが、伯爵夫人との蜜月を楽しみたい選帝侯はドレスデンへの帰宅を延期した。12月、選帝侯は新しい愛人エスターレ伯爵夫人を伴って宮廷に帰還した。選帝侯は自分の妻と母親にエスターレ夫人を紹介したが、両者の妾に対する態度は非常に冷淡だった。伯爵夫人は選帝侯夫人と母君の敵意に対して高慢と挑発的なウィーン宮廷の洗練ぶりの顕示で応酬した。伯爵夫人は強欲で打算的なことで知られ、自分の経済的利益に非常に敏感であり、アウグスト強王にとっては最も金のかかった愛人だった。
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