ゆかりの寺社とは? わかりやすく解説

ゆかりの寺社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 19:40 UTC 版)

簗田氏」の記事における「ゆかりの寺社」の解説

東昌寺茨城県五霞町山王山にある曹洞宗寺院永享元年1429年)、即庵宗覚が山王山千葉県野田市関宿町山王)に建立した六国寺が起源(『東昌寺開山行業之記』)。嘉吉元年1441年)、簗田持助が父・簗田満助菩提を弔うために諸堂再造営し、「六国山東昌寺」に改称したとされる(『与五将軍系図』)。創建の地は逆川西側茨城県五霞町山王で、現在地より関宿近かったが、大永4年1524年)に兵火のため焼亡し、現在地移転した(『東昌寺由緒書』)。持助が文明8年1476年)に寄進した梵鐘残されている。 安禅寺茨城県古河市磯部にある曹洞宗寺院寛正6年1465年)、簗田持助により創建開山東昌寺二世能山聚藝。山号は能江山院号は寿祥院である。院号簗田持助法号よる。当寺の『由緒書によれば、「七、八十年前」すなわち1592~1602年頃に火災により全焼したが、10年後に再建された。現在も簗田持助の墓と伝えられる寿祥塔、および、その他の簗田氏一族のものと思われる五輪塔が9基残されている。 普舜院茨城県古河市水海にある曹洞宗寺院天正3年1575年)、簗田晴助が父・簗田高助菩提を弔うために水海柳原創建開山東昌寺世の明巌賢聡。山号水海山である。創建時院号は高助の法号より「冨春院」と称した天正18年1590年)、小田原合戦にともなう兵火焼亡。のちの元禄3年1690年)、関宿城主の牧野成貞が娘の供養のため、現在地内水海に再建、「普舜院」に改称した

※この「ゆかりの寺社」の解説は、「簗田氏」の解説の一部です。
「ゆかりの寺社」を含む「簗田氏」の記事については、「簗田氏」の概要を参照ください。

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