妙法院宮尭仁法親王
妙法院宮常胤法親王
江戸初期の親王。妙法院門跡。伏見宮邦輔親王の第五王子。正親町天皇の猶子。初名は性胤、号は雲竜院宮・妙法院宮。覚永大僧正より灌頂を受ける。親王宣下、二品。第百六十八代天台座主となり、のち方広寺別当となった。また方広寺大仏の鐘名事件により、興意法親王の後を承け大仏を兼管し別当職に就いた。元和7年(1621)薨去、74才。
妙法院宮教仁法親王
江戸後期の妙法院門跡。閑院宮孝仁親王の第二王子。母は鷹司吉子。名は弘保、幼称は健宮。光格天皇の養子となり、久しく無住だった妙法院に入室、得度後教仁と号する。潅頂を受け、二度天台座主となる。嘉永4年(1851)薨去、32才。
妙法院宮真仁法親王
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