水田正秀
水田正秀(孫右衛門)
みずたまさひで
膳所の「ひさご」連衆の有力門人。伊勢屋主人 、後には医者になる。通称は孫右衛門。竹青堂・節青堂などの俳号もある。はじめ尚白に師事したが、元禄3年秋に蕉門に入る。 この直後の芭蕉・去来の三人で行った句会の模様が『去来抄』に去来の後悔として記録されている。正秀は膳所義仲寺における芭蕉の物質的生活のサポーターであった。義仲寺境内の草庵 「無名庵」は正秀らによる醵金で作られた。『炭俵』・『いつを昔』・『孤松』・『猿蓑』などに入句。
正秀の代表作
畦道や苗代時の角大師(『ひさご』)
鑓持の猶振たつるしぐれ哉(『猿蓑』)
猪に吹かへさるゝともしかな(『猿蓑』)
しがらきや茶山しり行夫婦づれ(『猿蓑』)
日の岡やこがれて暑き牛の舌(『猿蓑』)
澁糟やからすも喰はず荒畠(『猿蓑』)
月待や海を尻目に夕すヾみ(『猿蓑』)
刀さす供もつれたし今朝の春(『炭俵』)
早蕨や笠とり山の柱うり(『續猿蓑』)
春の日や茶の木の中の小室節(『續猿蓑』)
黙禮にこまる凉みや石の上(『續猿蓑』)
実にもとは請て寐冷の暑かな(『續猿蓑』)
白雨や中戻りして蝉の聲(『續猿蓑』)
飛入の客に手をうつ月見哉(『續猿蓑』)
火の消て胴にまよふか虫の聲(『續猿蓑』)
打こぼす小豆も市の師走哉(『續猿蓑』)
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