とがのや呉服店とは? わかりやすく解説

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とがのや呉服店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/25 17:57 UTC 版)

とがのや呉服店
1942年(昭和17年)当時のとがの屋呉服店
情報
構造形式 商家
所在地 福井県越前市
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とがのや呉服店(とがのやごふくてん)は、日本福井県越前市の「総社通り商店街」にかつて存在した呉服店。江戸時代から越前国府中(武生)に店を構え、平成中頃までの間、170年以上呉服屋を営んだ。

概要

とがのや呉服店は屋号をとがのや(とがの屋、栂の屋、栂野屋)とし[1]、店主は2代目以降代々古市幸助を襲名した。京阪名古屋等の産地より[2]呉服太物洋反物を仕入れ販売していた。

創業者の古市幸吉は、天保以前に越前國栂野村(現福井市栂野町)から府中に移り住み呉服屋を創業したとされ、故郷の栂野には同姓が営む繊維工場が複数存在する。

同じく総本家出身である古市利三郎は、全国各地(福井県,和歌山県,沖縄県,栃木県)の師範学校校長等を歴任した教育者である。また2代目・古市幸助(花友)から分家した家系の末裔である古市昌一は、日本大学の教授である。

  • 1833年天保4年)、江戸幕府から藩主(府中領主)への御用金本多副昌御参府御用金)として栂野屋幸吉(古市幸吉)が45両納めた記録[1]が残っている
  • 1894年明治27年)、武生町内呉服太物商を組合員とする協和組合を立ち上げた[3]
  • 1907年明治40年)、道路拡張のため店舗の一部を寄付した[4]
  • 1913年大正2年)、「武生町大正の大火」により店舗は全焼したが[5]、直ちに新築し営業を再開した[6]
  • 1942年昭和17年)、大阪の呉服店を舞台とした萩原遼監督、長谷川一夫主演の映画「おもかげの街」の舞台となり武生中が活気に沸いた[7]。当時の総社大神宮前の通りは美しい松並木が並び、絶好の舞台であった[8]
  • 1946年昭和21年)、武生商工会議所の設立委員となる[3]

その他の活動

脚注

  1. ^ a b 『武生市史 概説篇』、武生市史編纂委員会 編、253頁
  2. ^ 『繊維商工業要鑑 中部日本之巻』、信用交換所 編、福井県13頁
  3. ^ a b 『武生商工会議所二十年史』 武生商工会議所、1968年、68頁
  4. ^ 『官報 1912年12月03日』、大蔵省印刷局 [編]、77頁
  5. ^ 『福井県南条郡誌 (福井県郷土誌叢刊)』、南条郡教育会 編纂、692頁
  6. ^ 『織物要鑑』、武井啓治郎 編、1918年、256頁。
  7. ^ 『たけふ歴史探訪(上巻)』斎藤嘉造、1997年、136頁
  8. ^ 『私の記憶 武生のまち並み』徳山孝、1994年、118頁
  9. ^ 真宗山元派本山證誠寺史”. 本山證誠寺史編纂委員会. 2025年1月12日閲覧。
  10. ^ 『武生市史 資料篇 [第2] (神社・仏寺所蔵文書)』武生市史編纂委員会 編、1965年、222頁
  11. ^ 『武生市史 概説篇』、武生市史編纂委員会 編、1976年、625頁
  12. ^ 『たけふ今昔アラカルト』吉元吉之助、2003年、152頁
  13. ^ 『福井県史 通史編 5 (近現代 1)』福井県 編、1994年、203頁
  14. ^ 『福井県町村会六十年史 下巻』福井県町村会、1982年、328頁。



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