照屋林助
戦後沖縄芸能における最大のスター。音楽家、漫芸家。「テルリン」の愛称で親しまれた。息子は「りんけんバンド」のリーダー・照屋林賢。1929年、大阪に生まれるが後、家族で沖縄へ。野村流音楽協会・会長である父に古典を学び、大衆芸能は小那覇舞天(おなは・ぶーてん)に師事。1957年、ボードビル集団「ワタブーショー」を旗揚げし、パロディーや歌謡を盛り込んだ、可笑しくも含蓄の深い漫談で長年に渡って人気を博す。その芸風は後進の沖縄芸能・ミュージックシーンに多大な影響を与えた。1990年、コザ独立国終身大統領に就任し、新たな沖縄芸能・文化の方向性を模索していった。1991年にはワタブーショーのいでたちで水虫薬のCMに出演し、全国的にも名を知られるようになった。2005年3月10日、糖尿病の合併症により死去。75歳だった。
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