だいやもんど おきなわ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/20 17:07 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| だいやもんど おきなわ | |
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      西日本汽船「ニューゆうとぴあ」
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| 基本情報 | |
| 船種 | フェリー | 
| 船籍 |   | 
   
| 所有者 |  琉球海運(1975-1982) 西日本商船/西日本汽船(1982-1990) 日本クルーズ客船(1990-1997)  | 
   
| 運用者 |  琉球海運(1975-1982) 新日本海フェリー(1982-1997)  | 
   
| 建造所 | 尾道造船 | 
| 母港 |  那覇(1975-1982) 小樽(1982-1997)  | 
   
| 建造費 | 42億円[1] | 
| 航行区域 | 近海[2] | 
| 船級 | JG[2] | 
| IMO番号 | 7394802 | 
| 改名 | ニューゆうとぴあ(1982-1997) | 
| 経歴 | |
| 起工 | 1974年9月19日[2] | 
| 進水 | 1974年12月29日[2] | 
| 竣工 | 1975年3月29日[1] | 
| 就航 | 1975年 | 
| 要目 | |
| トン数 | 4,227.9 トン[1] | 
| 総トン数 |  8,609.6 トン(竣工時)[1] 12,378 トン(日本クルーズ客船時代)[3]  | 
   
| 載貨重量 | 2,891.2 重量トン[1] | 
| 全長 | 163.0 m[1] | 
| 垂線間長 | 150.0 m[1] | 
| 幅 | 21.0 m[1] | 
| 深さ | 13.8 m[1] | 
| 満載喫水 | 6.2 m[1] | 
| 機関方式 | ディーゼル | 
| 主機関 | 三菱MAN V9V52/55型 2基[2] | 
| 推進器 |  2軸[1] バウスラスタ 1基 スタンスラスタ 1基  | 
   
| 最大出力 | 36,000馬力[1] | 
| 定格出力 | 32,000馬力[2] | 
| 最大速力 | 27.3ノット[1] | 
| 航海速力 |  25.3ノット(竣工時)[1] 22ノット(日本クルーズ客船時代)[3]  | 
   
| 航続距離 | 3,340海里[2] | 
| 旅客定員 |  1,033名(竣工時)[1] 594名(日本クルーズ客船時代)[3]  | 
   
| 乗組員 | 53名(竣工時)[4]83名(日本クルーズ客船時代)[3] | 
| 積載能力 | 国鉄コンテナ12個、一般コンテナ140個[1] | 
| 車両搭載数 | 8トントラック10台、乗用車15台[1] | 
だいやもんど おきなわ(DIAMOND OKINAWA)は、琉球海運が運航していたRORO貨客船。後にクルーズ客船に改装され、ニューゆうとぴあとして就航した。
概要
琉球海運3隻目のRORO貨客船として尾道造船で建造され、1975年に那覇 - 鹿児島航路に就航した[2]。
沖縄国際海洋博覧会の来場者輸送のため、1975年7月20日から9月1日には那覇新港から博覧会会場近辺の渡久地新港(現・本部新港)間で特別運航された[5]。
1982年、関光汽船系列の西日本商船(のちに1984年6月に西日本汽船に改称)に売却され、ニューゆうとぴあとなり[6]、チャーター客船に改装された。1990年に同系列の日本クルーズ客船の所有となった。
1997年にIHI相生工場で係船された後、2002年5月、済州島でホテルシップとして使用するため、韓国へ売却された。
設計
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右舷船首および船尾の2箇所にランプウェイを装備していた。船首右舷のランプは、1985年の改装の際に撤去された。
船内
琉球海運時代
- 客室
 
- 特一等室(8名)
 - 一等室(104名)
 - 特二等室(228名)
 - 二等室(693名)
 
- 設備
 
- レストラン
 - ビュッフェ
 - ショッピングコーナー
 - 浴室
 - ゲームルーム
 - ダンスホール
 
日本クルーズ客船時代
- 5階「ボートデッキ」[3]
 
- スポーツデッキ
 - オープンステージ
 - プール
 - スカイラウンジ・バー「スターライトルーム」
 - リスニングラウンジ「サウンドスポット」
 - オーナーズルーム(2名×1室 浴室・大型リビング付きダブルベッド室)
 
- 4階「サロンデッキ」[3]
 
- Sクラス客室(2名×4室 浴室・リビング付きダブルベッド室)
 - Aクラス客室(2名×17室 シャワー付きダブルベッド室)
 - Bクラス客室(2名×10室 ダブルベッド)
 - Cクラス客室(2名×4室 2段ベッド)
 - Dクラス客室(4名×3室 ソファー付き2段ベッド室)
 - Fクラス客室(4名×8室 カーペット和室付き2段ベッド室)
 - フォワードラウンジ・バー「ブラスルーム」
 - バスルーム
 - シャワールーム
 - カードルーム
 - レストラン「アルハンブラ」
 - グリル「ラタンハウス」
 - 売店
 
- 3階「メインデッキ」[3]
 
- Aクラス客室(2名×39室)
 - Dクラス客室(4名×2室)
 - Hクラス客室(6名×16室 2段ベッド)
 - オフィス
 - ランドリー
 - 喫煙室
 - 図書室
 - 医務室
 - エントランスホール
 - オーガナイザーサロン
 - オーガナイザーオフィス
 - 案内所・オーガナイザーインフォメーション
 
- 2階「クォーターデッキ」[3]
 
- Gクラス客室(4名×40室 2段ベッド)
 - 免税売店
 - ホール映写室
 
- 1階「アッパーデッキ」[3]
 
- Gクラス客室(4名×30室)
 - シアター「ゆうとぴあホール」(2層吹き抜け)
 - 体育室(2層吹き抜け)
 - 上下船口
 
- 地下1階「エレクションデッキ」
 
- 第3教室[3]
 - バスルーム
 
- 地下2階「ロウアーデッキ」
 
- 第1・第2教室[3]
 - シャワー
 - ランドリー
 
事故・インシデント
関門海峡での衝突
1988年9月27日、22時31分ごろ、韓国の仁川港から神戸港に向かっていた本船は、関門海峡を通航する際、先航船を追い越そうとしていたが、複数の反航船が接近したためこれを断念、左舵一杯をとり全速力後進をかけて、接近していた最後尾の反航船をかわしたが、彦島に向首して進行したため、約8ノットで山底ノ鼻灯台の北方約980メートルの地点の油槽所岸壁へ衝突、船首部を乗り揚げた。船首右舷が前方から約70度の角度で衝突、本船は船首部外板に軽微な凹傷を生じ、岸壁は、約9メートルにわたってくさび状に抉られ、周囲が幅約17メートル×奥行約15メートルの範囲で損壊した。事故発生当時、天候は晴で、風力2の北東の風が吹き、潮侯はほぼ高潮時で付近には約4ノットの西流があった。事故原因は、複雑な潮流があり可航幅の狭い関門航路を東航中、船舶が輻輳する状況で、先航船の追い越しを試みたため、他の通航船と安全に替わり行く余地を失い、岸壁に向首進行したため、とされた[7]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 世界の艦船(1975年6月号,p28)
 - ^ a b c d e f g h 新造船写真集 ロールオンオフ貨客船 だいやもんど おきなわ DIAMOND OKINAWA 琉球海運株式会社 - 船の科学1975年5月号
 - ^ a b c d e f g h i j k 客船紹介編[クルーズ船編]日本クルーズ客船株式会社ニューゆうとぴあ - マリンブルー・ファンタジー客船新時代の船旅ハンドブック(日本外航路客船協会 1991年)
 - ^ 世界の艦船(1975年6月号,p15)
 - ^ 沖縄国際海洋博覧会公式記録 運営 観客輸送 - 沖縄国際海洋博覧会協会
 - ^ 長距離フェリーを創る 入谷豊洲伝 - 内航ジャーナル社(1986年)
 - ^ 横浜地方海難審判庁 (1990-02-09) (PDF). 平成元年横審第30号 旅客船ニューゆうとぴあ岸壁衝突事件 (Report). 海難審判・船舶事故調査協会 2016年7月9日閲覧。.
 
     
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