その後の西京丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 10:04 UTC 版)
上海航路に復帰した西京丸は大いにモテた。黄海海戦での奮戦ぶりが大々的に報じられ、わざわざ西京丸の便を待つ乗客が出るほどの人気であった。1903年、西京丸は弘済丸(2,627トン)を入れ替わるように上海航路から撤退した。1904年からの日露戦争では同型船神戸丸(2,901トン)とともに病院船として活動した。第一次世界大戦前後は青島航路に転じ、1921年5月7日に栗林商船に売却され、上海・大連航路に就航した。その後は老朽化により引退し、1927年夏に大阪尻無川で解体された。
※この「その後の西京丸」の解説は、「西京丸」の解説の一部です。
「その後の西京丸」を含む「西京丸」の記事については、「西京丸」の概要を参照ください。
- その後の西京丸のページへのリンク