その後の台湾の製糖業
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台湾製糖株式会社の設立をきっかけとしてその後、1903年(明治36年)12月に塩水港精糖株式会社が、1906年12月に明治製糖株式会社(現・大日本明治製糖株式会社)がそれぞれ塩水港庁に設立されている。また内地に本社のあった、大日本製糖株式会社(現・大日本明治製糖)も1906年に12月に台湾へ進出している。これに対し、台湾製糖も1921年(大正10年)7月に福岡県荒木町(現・久留米市)に九州製糖工場(のちの九州製糖、株式会社ケイ・エス)を竣工。台湾で製造した原料糖を神戸・九州の2工場で精製する体制を築いた。
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