さなだ‐まさゆき【真田昌幸】
真田昌幸(さなだ まさゆき) 1547~1611?
◇父:真田幸隆 室:菊亭晴季養女、宇多頼忠女、遠山右馬介女? 子:真田信幸、信繁、信勝、昌親
甲斐・武田氏臣。父幸隆3男。当主信玄の母の出である武藤氏を継ぎ、足軽大将となる。1561年川中島の合戦が初陣。長篠の合戦において、信綱、昌輝両兄が戦死した為、復姓して信濃・上田城主となる。後に上野・沼田城も攻略。武田氏滅亡後は上野・箕輪、信濃・諏訪を領有する条件で徳川家康に臣従。しかし、家康が相模・北条氏と講和して、無断で上野・沼田領を割譲すると、家康と絶交。怒った家康の攻略を受けるが、寡兵にて撃退する。以後、羽柴秀吉に出仕し、上野・沼田を譲る代わりに伊那・箕輪を領有。北条氏滅亡後はその旧領も回復した。関ヶ原の合戦では、長男信幸を東軍につける一方で、自身は次男信繁と共に西軍に加担。上田城にて西上中の徳川秀忠軍3万8千を釘付けにする働きをみせた。しかし、西軍敗北に高野山に蟄居した。
- さなだまさゆきのページへのリンク