おじいちゃんっ子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 06:46 UTC 版)
祖父・田中金蔵の親交の影響で頻繁に訪れていた青木功・尾崎将司プロなどと接する機会が多く、小学生時代の三貴は、訪れた名うてのプロたちに『そんなアプローチの仕方じゃだめだよ』等ダメ出しをしてウケを取っていた。ただ、シャイな性格であったため、プロたちに練習に付き合ってもらうことはなかった。 金蔵の影響から、三貴は学校から帰るとサンドウェッジ1本を持ち出し、自宅前の市立公園に勝手に9ホール程度のコースを自分で作り、それぞれカップを掘って、1人1パーティ3役をこなし、試合を想定して自分と相手方で打ち方を変えて独りで盛り上がって愉しんでいた。 学生アマチュアゴルフを転戦しながらも、将来は結婚して平凡な家庭でも作ろうかと漠然と考えていたが、2004年に金蔵が卒したのを機に、「今からでも遅くない、おじいちゃんに晴れ姿を見せられるように頑張ろう」と、本格的にプロゴルファーへの道を目指す決意をした。 2007年4月のフジサンケイレディスで初優勝した際、当初はニコニコしていたが、「祖母・両親がおじいちゃんの写真(遺影)を持って来ていたんです。それで、アテスト後にふいにそれを見せられて…。涙ぐんでいる親の顔を見たら涙が出てしまいました。突然だったので、涙があふれて止まらなかったです。あの時は本当に嬉しかったし、天国で絶対に見てくれていると思いました」と語り、涙の優勝インタビューとなった。
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